いけやんブログ

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ツイ消しされたツイートにリプを送ってみる

2日前にこんなツイートを目にしました。その時にリプライを送りたくなりましたが、本人に会ったときに自分の考えを交えて話してみたくなったのでスクショだけしてツイートを残しておくことにしました。

 

「見て盗めとか見習いで何年か修行してからようやく任せてもらえる系の職人芸は誰かオープンソースにしてノウハウやコツと言われるものをデータに起こしたら人類の無駄な時間が浮く気がする。」(原文ママ

 

数日して、その人のツイートからこの文章が消されていたので、なにか不都合か思うところがあって消したのだろうなと、思いました。なぜ消されたのかはさておき、このツイートを目にして私が考えたことを書き出してみます。

 

このツイートを見て感じたことは、部分的にはこの人の意見に賛成ではありますが、私の立場は批判的です。

 

まず、賛成できる点について言いますと、自分がなんらかの職人芸を習得することを初心者の立場からスタートした時に、すでにその道のプロである方からその人が芸を習得するまでに手に入れたノウハウや習得のコツをあらかじめ教えてもらっていたら、私はひとりで悩んで苦しまずともその芸を短期間で習得することができるかもしれません。情報が多ければ多いほど、その道の職人芸を習得できる人が増え、習得の途中で挫折する人も減って、人類にとって良い影響をもたらすのでは…と思えてしまいます。

 

しかし、このなんらかの芸を習得するというプロセスにおいて、本来は長時間をかけて修行して手に入れられる芸を短絡的に習得しようとするやり方は、その芸を学びたいと考える人の為にはならないでしょう。

 

人がはじめて何かをできるようになるまでには、まずそれを実際に体験して、すぐにそれを真似できた一部の人を除き、大半の人は挫折という絶望を味わわなければならないでしょう。そして、絶望してからいちど冷静になって、なぜできなかったのかを自分なりに分析して、少しずつ、できるようになりたい何かを何度も体験することで自分のものにすることができるようになります。

 

自分の実体験をともなっていない知識からは何かを得ることは難しいです。その知識は自分ではなく他人が経験して手に入れたものだからです。自分の体験して得た知識でないものでは、その知識を別の誰かに伝える時に混乱が生じてしまうでしょう。自分でもその知識をよくわかっていないからです。

 

自分に最も合う方法は自分で見つけるしかない。それには分析するしかありません。