いけやんブログ

ロシアネタ、日々の雑感、読書感想文など。

先日、「超一流の雑談力」という本を友人からいただいた。

人に贈り物をすること。

 

例えば、それは仕事で疲れている職場の人に何か甘い物を差し入れする時や日頃お世話になっている友人へ何か気に入りそうな物をあげる時でもいい。

 

日常において、人からひとへ物を贈与することはわりと稀な出来事だと思う。

 

私はひとに物を贈ることが好きである。

 

物を贈ったことで相手に感謝してもらえることや贈った物を気に入ってもらえることが嬉しかったりするが、本当のところは「物を介して人に何らかの影響を与えられること」に喜びを感じる瞬間がある。

 

贈り物が「食事」だとする。

食事はとても影響力のある贈り物だと思う。食事の場合、「いっしょに感動を共有する体験(時間)」とも言い換えられるが。

お店を選ぶときに考えることは、相手の好みに合うメニュー、相手の好みそうな店の雰囲気(衛生環境、音楽、店員の態度など)、立地条件(地理的に交通アクセスしやすい)、オーダーしてからメニューが出てくるまでの時間等々、ぱっと思いつくだけでもいろんな要素が挙げられるが要は「お店を選ぶセンス」である。

さらに、食事をすることは、目の前にいる相手と、ほぼ同じ物を食べ、同じ時間を共有するだけに「相手を選ぶ贈り物」でもある。

お互いの食事をする時のマナーや仕草は嫌でも目に入ってしまうものである。家の中だけで食事をするなら人目を気にすることもないが、公共の場で食事をいただく時はそういうことに気を遣える態度であることが好ましい。食事において「マナーや気遣いがキチンとできること」は基本であるが大切だ。

素敵な空間で、紳士的な態度で振る舞える相手と、美味しい物をリラックスした気持ちで味わう体験はこのうえない贈り物だといえるだろう。

 

やや本筋から脱線してしまったが、ともに食事をすることで、相手に「自分のセンス」を伝えられる。逆に自分という人間のイメージを損ねてしまう場合もある。人と食事をする経験を重ねて、また別の機会に同じ相手を食事に誘うときのヒントを得たり、自分という人間を見つめなおしていくのも良いだろう。

 

贈り物が「本」だとする。

これは(私の)個性を主張した贈り物といえる。それと同時に本をふだん読まない人には有効ではない贈り物だ。しかし、相手の思考や思想に影響を与えられる点ではとても有効だと思う。政治的や宗教的な意味ではなく、相手の思考の成長を手助けするという意味で。

本を読むのが好きな人に本を贈るときは、そのひとがよく読んでいる本のジャンルやタイトル(読書の傾向という)をあらかじめ聞いておくのはもちろんのこと、どういう場面で本を読むことが多いのかを聞いておくべきだろう。通勤電車の混雑した中で本を読むことが多い人には文庫本の方が好まれるだろうし、普段仕事のある平日で空き時間を本を読む時間にあまり割くことのない人には内容を理解するのに時間がかかってしまう本は好ましくないだろう。

他に本を人に贈るときに何を指標にしたらよいだろうか。その人の「読書歴」に注目したらよいと思われる。学生時代から読書になんらかの意義を見出すことに目覚めた人(と同時に純粋に本を読む行為を楽しんでいる私のような人間もいる)なら、それぞれ何らかの思い入れのある作者なりタイトルがあって、それを基点(その人の読書のルーツともいえる)に自分の読書の幅を一つのジャンルの中で掘り下げたり、複数のジャンルにまたがって広げているものである。

読書歴はその人がこれまでどんな本(ひと)に出会いその度にどんな影響を受けてきたかを知る手がかりになる。いまこの人に知らない本(ひと)を贈る(会わせる)ならどんなひとが好ましいかを考えてみるのである。

相手の読書歴を聞いて、「何に興味を持っているか」をまず考えてみよう。その人のいま読んでいる本が、単なる一過性の興味から手に取った本なのか、一連の読書歴に連なる本なのかを見極めよう。後者であるなら、その人にどんな本を贈るのが相応しいか考えやすいと思う。その本を読み終わったら次はどの本に行き着くのか(その人の思考/思想の発展の過程)を予想するのである。ここで大切なのは、相手の思考にすんなり当てはまる本をセレクトできるかが鍵である。いたずらに相手にとって知る必要もないであろう知識(本)を贈ったら、相手の思考の成長を乱したり停滞させてしまうかもしれない。そうなると自分の贈与行為は悪影響でしかない。せっかく本(ひと)を贈る(紹介する)のだから、良い友達になってもらいたい。

あるいは相手の思考と相反する本であったとしても、相手がその本(ひと)と対話する過程でアウフヘーベン(止揚)が起きて、その人の思考がより高次元なものに調和し統一するという、贈った者の意図すら越えるような結果になれば凄いことであると思う。

 

以前「ルバイヤート」という中世ペルシャの詩集を友人に贈って喜ばれたことがある。お酒を飲むのが好きな人で、たまに厭世観を口にすることもあったので、何か飲酒にまつわる詩で厭世観を詠んだものはないかと考えていたらこの本が思い浮かんだのだ。私もこの詩集が大好きだし、彼もこの詩集を気に入ってくれてよかったと思う。彼が独りで酒を飲んでいる時にふとこの詩集の一ページをめくり、ある一節を頭の中で詠んで、人生についての憂いと酒を飲む快楽の余韻に浸ってくれたら、と願う。

 

逆に相手の興味の範疇にない本を贈ってみるのも面白いかもしれない。こういう世界(本)があったのかという驚きを相手に与えられる。しかしこれはやり過ぎてしまうと「俺はおまえよりいろんなこと知ってるぞ」という拗れた優越感につながりかねないので注意が必要である。

 

「人に何らかの影響を与える」ことを想定してひとに物を贈る以上、贈られる人にとって善い影響をもたらすものを選ぶことができるように、その人をよく観察して、状況や気持ちを考えてあげられるように心がけたい。

 

(蛇足)すっかり例の誓約をすっぽかしている自分がいる。情けない。だが、毎日ふと我に返ったときに、何か書かねば何か書かねば...という意識が自分の中に目覚めたことを良しとしよう。ルールに固執することよりも、毎日アウトプットし続けることで、自分という人間を客観的に見つめなおすこと、自分の考えを上手くまとめて人にわかりやすく伝えられるようになることが目的なのだから。