いけやんブログ

ロシアネタ、日々の雑感、読書感想文など。

ギリシャには「寝つきの悪い子供にはテオ・アンゲロプロスの映画を見せろ」という小噺があるみたいです。

前回は、今夜は二部構成です。とか言いながら、寝落ちして書き損ねたので今日投稿します。

 

例によって方針に則るなら・・・

②1日でも更新を怠ったら2回以上更新する

という誓約により、今夜はあと2本記事を書かなければならないのですが。

 

22日(月)× ←

23日(火)○

24日(水)○

25日(木)× ←

26日(金)Today ←

 

第二部は

『興味を持ってもらうなら映画の選択は慎重にしよう』

 

またまた広島旅行の話を繰り出しますが、「道中の車内でこの映画を流すよ~」と出発前の晩にいきなり「皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇」というタイトルもジャケットもクソイカツイ映画DVDを紹介しました。友達の1人は既にこのジャンルに馴染みがあったのと、以前いっしょに同ジャンルの映画を観に行ったことがあったので映画の上映には賛成であった。いっぽう一緒に行く女の子の方はおそらく残虐そうな内容に拒否反応を示して反対するか、太陽・マッチョ・アミーゴなザ・メキシコな雰囲気に意外にも興味を持ってくれるのどちらかだろうなーと思っていたら、なんと後者の方でした。

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はじめての「中南米の映画」というのもポイントだったらしい。ラテンアメリカの映画を観る機会は意外と少ないのかもしれない。私なら「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」とか「モーターサイクル・ダイアリーズ」などがパッと思い浮かぶが、まだまだ観ていないラ米映画がたくさんあるなあ・・・

 

そして、とどめに私のiTunesに入ってる劇中で使われてる音楽、

 

「El Mini 6」Buknas De Culiacan


LOS BUKANAS DE CULIACÁN EL MINI 6 CARTELES UNIDOS

 

を聴かせたらみごとにヒットしたみたいで、明日のドライブがいっそう楽しみになり、眠りにつきました。

 

陽気な音楽に合わせて歌われているのは似つかわしくもないこんな内容。

 

俺は闘いで命を落とした

親父と同じだ ねたんだことはない

俺は若くても 誰より実力があった

これこそ ボスの教えのおかげ

俺はグアダラハラを通り過ぎた

そこにクソ政府が 闘いをふっかけやがる

片手にAK-47 防弾チョッキなしで

白いトラックに乗り 街を流す

空へ発砲し 追い払おうとした

燃えるような銃弾に 奴らが応酬

必中のライフルで ヘルメット野郎を殺した

鋭い目 高ぶる感情 復讐の時だ

俺の仲間が 敵をひとり倒した

その戦場はまさに地獄絵図

負けるなんて 夢にも思わなかった

やられちまった 俺が死ぬ番だ

クリアカンに生きて戻れなかった

激しく闘い 力強く散った

 

危険は承知の上だ 誰も悪くない

もし裏切りなら 血を見ることになる

白黒つくまでは 闘いも続く

俺の命の代償は 何より高くつく

俺の呼び名は"ミニ6"

姓はメサ・トーレス 名はラウリージョ

親父は周りを 強者(つわもの)たちで固めてた

クリアカンでは 普通の奴らさ

成り上がりの命は短い

価値のない奴は 全員首を切れ

乱暴なんじゃない 誰より勇敢なだけ

仲間には いつも誠実だった

お別れだ 俺の人生は終わり

悲しくはない 素晴らしい旅立ち

奴らの標的は ボスだけだった

これで俺の名も 記憶に刻まれる

またこの世に 戻る日が来るさ

愛に満ちた男 俺が選んだ生き様だ

©日本語字幕 西山敦子

 

現在進行形でメキシコで起こっている、メキシコ麻薬戦争という現実(リアル)。このドキュメンタリー映画は、年間3000件を越す殺人事件が発生する「世界で最も危険な街」とされるシウダー・フアレスを舞台に、フアレス出身の地元警察官として日夜殺人事件の現場で証拠品を集める男リチ・ソトと、ナルコ・コリード(麻薬ギャング達の生き様を歌った、メキシコやアメリカのヒスパニックの間で人気を集める音楽ジャンル)の歌手で「ロサンゼルス育ち」のメキシコ系アメリカ人エドガー・キンテロ君の物語によって描かれる。前者は暴力が蔓延する世紀末のような世界に身を置きながら、正気を保って、自分の街を必死に守り抜こうとする男、後者はインターネットでしかメキシコの麻薬カルテルの現実を知らない、麻薬ビジネスが生み出す莫大な富を夢見、成功をつかもうとする男。それぞれ対照的な人生を歩んでる2人の男の物語を通して、メキシコの内と外で同時に起きている戦争とその派生である文化現象を捉えようとした作品である。原題は「Narco Cultura」(麻薬文化、麻薬カルチャー)。

 

とてもホットで刺激的なテーマを扱った作品ではあるが、上映開始後1時間も経たないうちに2人の観客は寝静まってしまった。

後でもうひとりの友人から感想を聞いたら、映画自体は暴力の蔓延するメキシコのありえない日常や音楽ライブのステージ上にバンドメンバーがアサルト・ライフルやバズーカ砲を持って登場するなど鮮烈なシーンがたくさん登場するけど、物語の構成がいろんなインタビューのつなぎ合わせであったり、図やインターネット記事などの資料の挿入など、従来のドキュメンタリーの枠を出ないという評価であった。メキシコの内外で起きていることはよくわかったが、尺の長い映画の中に同じ主張が何度も繰り返されて冗長的な観も否めないといったところである。

そのような思いはむしろ上映を企画した私自身にもあったわけだが、刺激的な映画内容に集中して見入ってくれるだろうという私の期待は見事に外れてしまった。そもそも私はメキシコ麻薬戦争というテーマに5年前から関心を持っていたので、多少眠くとも最後まで集中して観ることができたというのもあるかもしれない。

この映画を上映してみてわかったことは、一本の映画を前にしてやはり「観客は正直である」ということだ。どんなにすごいテーマを扱っていても、2年間で100時間という撮影素材を基に作られた苦労作であったとしても、劇場で観客を睡眠に誘ってしまっては映画スクリーンの向こう側で起きている現実(リアル)に目を向けてもらえないのではと思う。それと、やはり「映画は娯楽」である以上、観客に期待と感動を与え続け、ずっと起きて観てもらえる作品でないといけない。とはいえメキシコ麻薬戦争に関する基本的な知識と時系列的な理解が深まれば、映像資料としての価値は高い作品ではある。

 

最後に、この映画をはじめて観る人は、まずはこの映画の中で描かれる「救いのない、やるせなさや無力感しか残らないような現実」を知り、絶望すると思う。しかし、この物語を自分と関係のないどこか遠い国の出来事で、自分の日常とは関係ないと思わないでほしい。この問題を自分の中で否定しても問題が消えてなくなるわけでもない。何らかの形で私たちもこの問題の一部を成している。若い世代は上の世代が形作ったこの現状に影響を受けやすい。若い世代の人びとは麻薬ビジネスに限らず、さまざまな組織犯罪に、人生に行きづまった自分たちが浮上する唯一の道を見出すようなことはしない方がよいだろう。

 

余談だが、この映画を撮影したシャウル・シュワルツ監督の出自が報道写真家というのも興味深い。フォトジャーナリズムだけではメキシコのシウダー・フアレスで起こっている、自分の伝えたい物語を伝えることはできないと考え、映画を撮ることを決意したという。