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いけやんブログ

ロシアネタ、日々の雑感、読書感想文など。

見せていない映画について堂々と語る方法

お待たせしました。第二夜の投稿です。昨日にこのブログを約1年ぶりに再開したわけですが、本当は8/22(月)に投稿するつもりが1日遅れてしまいました。。

 

というわけで前回、示した方針である・・・

②1日でも更新を怠ったら2回以上更新する

という誓約により、今夜は二部にわたってお届けします。

 

第一部は

『体験を前にしてドキュメンタリー番組を事前に見せる意義はあるのだろうか ~平和記念公園訪問をあとにして~』

 

先週の土曜日、私の運転する車で広島の平和記念公園原爆資料館を友人2人と訪れた。夏の日帰り旅行である。

行きは大津から山陽道を片道6時間以上運転して広島市内に入り、帰りに尾道を経由して、しまなみ海道今治小松自動車道~徳島自動車道~神戸淡路鳴門自動車道名神高速道路を通って大津に帰る7時間以上の超距離移動であった。行き帰り、市内移動を含め15時間以上ハンドルを握り続けたことになる。これは単なるドライバーの苦労談です(笑)

この旅行の目的は平和記念公園原爆資料館への訪問」であり、小6の修学旅行時に平和学習の一環で訪れた私を除く、友人2人にとっては初めてであったという。旅行当日の1週間前に誘われたにもかかわらず「行きたい!」と興味をもってくれた女の子にはよくぞ来てくれた!という思いであった。それにこの2人は京都に住んでいる(もう1人は少し前まで)。そのこともまた今回の旅行の中で私にとっては思うところがひとつあった。それについては後ほど触れる。

 

夏の日帰り旅行の目的地に広島を選んだ理由は、8/6(土)に、私がNHKのドキュメンタリー「決断なき原爆投下 米大統領 71年目の真実」という番組を観て、ものすごく広島という土地に足を運びたい!なんとしても20代の感性のうちに広島を訪れ、原爆とその被害に遭った人々に対して考えを巡らしたいと思ったからだ。

この番組で目新しいと思った点は、「原爆投下決定の最高責任者であるトルーマン大統領が原爆投下決定を下す過程で綴った友人への手紙の内容。そこから垣間見える優柔不断で小市民的な一面を持つトルーマンの素顔」「軍の原爆計画責任者達による、新兵器(原子爆弾)の爆発の最大効果を観測するという目的のために特定の都市への爆弾投下を主張し続けた証言記録、および文民統制の最高司令官であるトルーマンへの印象操作をおこなった痕跡のある計画書」などが挙げられる。

それに、1963年に一度だけトルーマンが日本の被爆者と面会してる様子を撮った貴重な映像が見れたことはよかった。映像で会見中のトルーマンは終始被爆者の一人と目を合わそうともしなかった。あんなことをしておいて、アメリカ元大統領といえども自分の命令で落とした爆弾によって戦禍を被った者と目を合わせられるはずがなかったのだ!

 

次に触れる番組内容は京都から来た2人には、せっかくなので伝えておきたかった歴史的事実である。

 

京都はもともと原爆の投下予定地で、広島に落とされる1か月前まで軍の原爆計画責任者と陸軍長官(大統領に計画の報告を行う重要なポスト)の間で何度も議論され、本来なら落とされていても不思議のない街であった。

 軍を除隊後に録られた原爆計画責任者のグローブス准将の肉声によれば、「京都は外せなかった。最初の原爆は破壊効果が隅々まで行き渡る都市に落としたかった。」さらに、「京都は住民の知的レベルが高いから(新兵器である)原子爆弾の兵器の意義を正しく認識するだろう」という期待もあったという。番組内で公開されたグローブス准将が保管していた地図によれば、京都に落とすなら京都駅の西、現在の梅小路公園周辺が爆心地になる予定だった。原爆計画責任者であるこの准将は、京都がほかの軍事目標と何ら変わりはないという主張を執拗に報告書のなかで繰り返していた。結果的に戦後のアメリカの国際的イメージを心配する京都贔屓のスティムソン陸軍長官の抵抗や終戦後の米軍統治下の日本の世論が反米になるのを恐れたトルーマンの反対にあい、このシナリオは白紙になった。

 広島へ向かう道中、このシーンが頭をよぎったのを覚えている。本来原爆が投下される予定だった京都から実際に投下された広島に向かうのは何とも複雑な心境であった。歴史にIFは禁物だが、一つ歯車が違えば京都が被爆地になっていた可能性もあったことは覚えておこう。

 

さて、本題に入ろう。DVDに録画したこの番組を、予習もかねて広島に向かう車内で流す予定であったが、出発を前にして躊躇った。一種のプロパガンダになるのではないかと。つまり、いくら事実に基づいて作られたドキュメンタリーであっても、引用された証言や写真、映像の見せ方、ナレーションに製作者の意図が介在していることは明白で、この番組を観て感銘を受けた私がこの番組を広島をまだ見ていない2人に見せることで余計な先入観を植えつけはしないだろうかと悩んだ。結果的に見せなくてよかったと思っている。「どういう意思決定の下で原爆が広島の街に投下されたかを知ってもらう」よりも、まず「かつて原爆が投下された現在の広島の街の様子や資料館の展示を見て各個人各々の考えを巡らしてもらう」方が良いと判断した。

 実際、女の子の方は広島の街に入ってから新しい大きなビルだらけの街の風景がとても薄気味悪かった。古い建物がまったくみられない、と言っていた。原爆資料館を後にしてふいにそんな感想を耳にしたので私は戸惑った。古い寺社仏閣や建物が混在した街(京都)から、一発の核爆発によって街の歴史もろとも更地にされ過去からの連続した時間の中に空白の時間を生み出された街(広島)に来ている彼女の心象風景を想像してみた。怖い。こわすぎる。そうなのだ。想像するのも恐ろしいことが今から71年前にこの地で起きたことを改めて、おもい知った。

 

もう一人の友人からは感想をほとんど聞けていなかったが、いずれ機会があれば聞きたいと思っている。原爆資料館に展示されている被爆者の遺品や身体の一部、平和への願いを込めたモニュメントや品々、現在の広島の街を実際に目にしたことで私を含む3人の若者が原爆とその惨禍、そしてこれからの時代の核の在り方に考えを巡らせるよい契機となったことを願う。