ハバロフスク2日目(2)
ハバロフスク日本センターを後にして時間は夕方5時半くらい。
施設観光へ行くにも遅すぎる時間帯なので、夕陽を見ながら河辺を散歩することにします。
バスに乗ってムラヴィヨフ・アムールスキー通りを西へ下り、
目の前に広がる雄大なアムール川を背景にした教会広場にやってきました。
名前の通り、ロシア正教のカテドラルがあります。私は正教徒ではないですが、外国に来たら異文化・異宗教に触れてみたいと思うのは旅人の常。
入り口に掲げられているのは、イエス・キリストの有名なイコン(ロシア正教の聖像画)。とてもインパクトのある描写で一度見たら忘れられない絵です。
カテドラル内部の写真撮影は禁じられています。この写真は、3日目に訪れた時にたまたまカテドラルの入り口が開いていたので外からパシャリ。
カテドラルに入ると、聖職者によるお祈りが行われていました。参拝しているロシア人の正教徒たち、女性はみなスカーフを頭に被り 、男性は普段の服装で祈りを捧げていました。時どき、指で宙に十字を切るひとや、同じ姿勢を保ったままのひと、頭を下げる動作を何度も行なうひとがいました。
お祈りの各部分はサンドイッチのように構成されているようでした。美しい女性の讃美歌の後に、主教の聖書の一節を唱える声がおり重なり、それらは建物内部にこだまして、荘厳で神聖な雰囲気がカテドラル全体を満たしていました。
正教徒ではない私でさえ思わず、主がふたたびこの地上に再臨すると信じてみたくなるほど、お祈りに聴き入っていました。
カテドラルを出て、ネギ坊主型の屋根をしばらく見つめてました。ビザンティンや東方正教会の流れをくむロシア正教の建築物は何度みても見飽きないくらい好きです。
それから、
教会広場を突っ切って、階段を降りた先にみえるのは・・・
雄大なアムール川!!!
Хорошо! ハラショー!(すばらしい!)
アムール川クルーズの時間はとうに過ぎていたので、陽の沈むアムール川を尻目に、川のほとりを行き来するロシア人の夫婦・カップル・親子・女の子たち・男たちを観察してました。
散歩をしながらふと立ち止まり子に水面の上で小石を跳ねさせる遊びを教える父親。クルーズを終えてベンチに座って手持ち無沙汰にしてる3人の女の子たち、ひとりは自撮りを熱心に撮って何度も出来を確認している。人前で堂々と熱烈なキスを交わし合う若いロシア人カップルの例に洩れずここでもちらほら。ポケモンGOをしているみるからに草食系の青年。川沿いの砂浜をジョギングしてるOL風の女。シベリアハスキーを散歩させている中年のおじさん。川沿いでポップコーンやアイスを売っていて客が来なくて飽きたのかスマホをいじったり仲間とだべっているティーンエイジャー達。爆音でロシア・テクノ?を流しながらロードバイクを走らせる兄ちゃん...。
京都の鴨川とハバロフスクのアムール川。川の大きさは違えど、同じ自然の川に集う人それぞれの根底にあるものは同じだと思います。川そのものと川が作り出す自然の景色。水の流れる音。そこに集う人々の声。思いおもいの時を過ごしながらなかなか引かない人の波。みんなここが心底好きなんだなあ、と思いました。
航跡雲がいつもより綺麗に見えたアムール川の夕暮れでした。
川で独りでいつまでも黄昏れていても、くそおもしろくないのでシーシャ・カフェバーへ。
テキーラショットを一杯所望し、それをクイっと(実際はチビチビ)飲み干し、ブドウ味のシーシャをプカーと吸いながら徐々にトランスモードに入っていく・・・
そして・・・
夜のムラヴィヨフ・アムールスキー通りを宿の方角へむかって歩きだす。
とちゅうに怪しげな光線を発しながら潮を吹いてる噴水を発見!
再び宿にむかって歩いてると、ふと足がとまる。
むむ
なにやら年齢制限がある模様。
次回、要チェックですな。
(といいつつ、インスタの公式アカで中の様子をチェックして寝ました。ふつうに地元のクラブでした。)
昼にくらべ、夜に関しては完全に不完全燃焼でありました。寝る。
ハバロフスク2日目(1)
10時に起床。
ホステルを出て、いざゆかん!昼食へ!
この街でいちばんおしゃれなカフェときいていた「カフェ・リパブリク」
伝統的なロシア料理、гамбургер
注文する時に、
ガンぶぅるゲる(発音あってるかわからない...どうしよう)
私「Это! (これ!...指差しながら)」
店員「ガンブルゲル」
私「(あってるんかーい)」
伝統的なロシア料理、ガンブルゲルを食しました。うまい。それにしても「これ」に慣れてしまうと、会話がなかなか上達しません。。
腹ごしらえを終えて、今回の最大の目的である、ハバロフスク日本センターへ向かいます。
行く道中リムジンを2台ぐらい見かけました。日本でもあまり見かけたことないのに。
昨日紹介した街の中心に位置する「レーニン広場」。こういうだだっぴろい広場は日本に居るとなかなか見かけないのですごく新鮮です。こういう場所にたくさん人が集まって集会をしたり時にはデモが行われることで民主主義が成熟していくんじゃないかな、と思いました。
広場を眺めるレーニン像を後ろからパシャリ。※共産主義亡き後のロシアの行く末を案じてるイメージ
レーニン広場から歩くこと30分で目的地に到着。
ハバロフスク日本センターは銀行があるビルの3Fに入っています。スタッフは10人くらい居て、唯一の日本人である鏡所長を除き全員がロシア人で日本語がペラペラです。
このセンターは、
「1994年に日本国政府がソ連崩壊後のロシアの市場経済改革支援の一環として設置」
「将来のロシア経済を担い、日露経済関係の分野で活躍することが期待される人材を発掘し育成するため、経営関連講座・日本語講座等様々な技術支援を行っている」
外務省ホームページより
要は日本とロシアの経済交流を進めていくために、資本主義ビジネスに慣れていないロシア人をビジネス講座や日本語講座を通じて手助けするセンターです。それ以外にも邦人企業と現地企業のビジネスマッチングや優秀な受講生を日本に招いて日本の企業でOJT研修をするなどの事業も行っているとか。
日本語講座の受講生は現在100人ぐらい居るらしく、ほとんどが社会人で退社後に日本語を学びに来ているそうです。自習している姿を見ていると、ものすごく熱心で20代〜50代の方がいました。
教室の風景。大学のすこし古い教室を彷彿させます。
ここでの私の目的は 、ハバロフスク市内にある日本企業の現地法人の情報をもらうことです。
現地のロシア企業の情報は正式なアポイントメントがないと渡すことができないということで今回は見送りに。
それから、これは棚ぼただったのですが、日本に居ながらSkypeを通じてロシア語の会話トレーニングに協力して頂けるロシア人の先生が見つかったことです。連絡もLINEを交換したのでスムーズにいきそうです。さらにハバロフスクとの時差は1時間しか変わらないのでお互いに無理なく学習を進めていけそう!
日露経済交流のビジネスジャーナルを拝見。定期購読雑誌やネットに無料PDFであがっているものがあり、日露経済について考えるいい材料になりそうです。
【今回の訪問を終えて。】
ハバロフスク市内に日本に関心をもって継続的に日本語を学習する社会人が多数いることがわかりました。それぞれの学習目的については詳しく聞けませんでしたが、彼らの中には日本と将来のビジネス関係を望んでいる人材がいることは確かなので、そのような方と対等にロシア語で会話をできるようになろうというロシア語の学習目標ができました。
その点で、センター関係者で、ロシア語の先生になってくれる方が見つかったのは大きな収穫でした。
私のロシア語の会話をみてもらいつつ、彼女からセンターで学習しているロシア人のことも聞いていこうと思います。
また、ハバロフスク及びウラジオストク市内にある現地法人の邦人代表への連絡先を手に入れました。極東ロシアの経済状況について勉強しつつ、これらの企業への就職を当面の目標として就職活動を続けていきます。
帰国してからの主な活動を以下に絞りました。
①ロシア語の上達
②極東ロシアの政治経済研究
③現地法人への就職活動
これらを実行→継続をしていく所存です。
充電、そして「前進」あるのみ。
前回にブログに書いた通り、やってきました!
ロシアの極東の行政の中心(という名の辺境都市)、ハバロフスク市。
この街に来る前の所感を簡単に述べます。観光地としてはあまり期待していません。歴史がモスクワなどにくらべとても浅いからです。ネットにあがってる画像を見る限りインフラはまだまだ未発達な印象が強いのと、人口の規模が近隣のウラジオストクに迫られているという現実があります。正直、また来たいという気持ちにはそうそうならないと思ってます。
実際に街を歩いたり店に入ったりしたら、市民生活の様子も欧米の先進国のそれにはまだ及ばない点は多いと思いますが、それでも極東ロシアの一都市としてどんな潜在性を秘めているかをこの旅でみつけられたらと思います。
もしも将来この都市に住んで働くことになった時のために。
夕方5時前に空港に降り立った瞬間、極東のセンターのわりに小規模な空港と建物の寂れ具合をみて、すぐに思い出しました。「あゝロシアやなあ」と。
税関のお姉ちゃんが美人だったという感想を、飛行機が同じだった別の日本人もつぶやいていたのを聞いて思いました。「あゝ東洋人やなあ」と。
空港から22ルーブル(約33円)のバスに乗って市内中心部に到着。左手奥に見えるのがレーニン像。ここはレーニン広場で、ハバロフスク市を東西に貫くカール・マルクス通りとムラヴィヨフ・アムールスキー通りの2つの大通りの中心に位置します。
ロシアの街の通り名はいまだにソ連や帝政ロシア時代の名残りを感じさせるものが多いです。
バスから降りて今晩の宿へ。
ハバロフスク市は坂の多い町です。起伏に富んだ地形を何キロも歩き続けるだけで、ふだん鈍ってる足腰が鍛えられる思いです。
道中すれ違うロシア女性をみては、何度も振り返るという東洋人男性の謎の性(さが)を発揮しつつ坂をひたすらひたすら登り続け、ホステルに到着!
1泊650ルーブル(約1024円)。
久しぶりのひとり旅なのでドミトリーにしてみました。むさくるしいけどとても愛想のいい中央アジア系の男客たちとともに一晩を明かします。
スマホの充電とWi-Fiをゲットできたので、明日にむけて、前進せねば!
ウラーーーーー!
ハバロフスクに行ったらまず何しようか
明日(9月22日)の夕方にはロシアの極東行政の中心といわれるハバロフスクにいます。
予定では22日の早朝に、空港行きリムジンバスに乗って関空へ向かい(起きれなかったら車で高速をかっ飛ばして)、第1ターミナルでルーブル札に両替した後、テーブルの上にルーブル紙幣の札束とそのとなりに粉ウコンの力を配置して。
「ロシアへ就活しに行ってきまーす!
ウォッカに負けんように粉ウコンの力も忘れずに。笑」
とか書いて関空にチェックインして、FBに投稿するでしょう。いいねを期待して(前に似たような投稿した時は60いいねくらいついたのでわりと気にしてる)
そして、ソウル経由で夕方にハバロフスク・ノービ空港に着いて、市内行きのバスかトラムに乗って、レーニン広場近くに予約したホステルにチェックインして、荷物をドカッと置いて、ベッドにダイヴした後、シャワーでも浴びて、市内有数の繁華街エリアであるムラヴィヨフ・アムールスキー通りをうろついているでしょう。
なんといっても今回の旅行は一人旅。友達も知り合いもいないロシアの極東の片隅の一地方都市のそれほど期待もしていない繁華街でどう飲み歩いたらいいものでしょうか。
昼間の街観光は落ち着いて好きなところをじっくり見たいのでむしろ一人の方がいいんですよね。
2年前にロシアの各都市を渡り歩いたとき、モスクワでは、たまたま同じホステルに同い年ぐらいの英語の話せるロシア人大学生がいて真夜中に寒中水泳イベントへ行ったり、トレチャコフ美術館のお土産物コーナーで知り合った日本語のわかるお姉さんと連絡先を交換してモスクワのアートイベントを案内してもらったり。
またある時、ニジニ・ノヴゴロドという街では、日本人の知り合いが日本語教師として働いていて夕食や昼食をご一緒させてもらったり、ノヴォシビルスクという街では、ロシア人の友人夫婦宅に4日間くらい三食付きでお世話になったこともありました。
つまり概して、滞在したどの都市でも出会うべくして出会うべき人たちに出会ったきたということです。ロシアの人びとは、彼らに出会ったことのない日本人からすれば不愛想でほとんど笑わなくてこわいイメージがあるかもしれませんが、一度打ち解けると、これほど人間味にあふれた人びとはそうそういないと思えてしまうほど仲良くなれることが多かったです。これは現地で彼らと何回も接触した結果、実感したことです。
ロシアの見知らぬ街へ行くたびに心がけていることは、人が集まる場所へ足を運ぶことです。すごく当たり前のことですが、自分以外外人の環境においてついSNSやネットの世界に逃避しがちですが(実際じぶんもそうすることが多かった)、どんなきっかけでもいいので、むこうから声をかけてくれた時は(信頼に足る人物であると自分の直感を信じて)迷わず行くようにしていました。おかげさまで、これまでのところお互いに不幸な関係で終わることもなく、その時々でよい時間を過ごせました。
今回のハバロフスクでは、まず宿で、あるロシア人と親しくなってから、ハバロフスクの街を案内してもらったり、夜の街をいっしょに飲み歩けたらなと考えているので、そういう出会いが起こるように、行動していくつもりです。
ツイ消しされたツイートにリプを送ってみる
2日前にこんなツイートを目にしました。その時にリプライを送りたくなりましたが、本人に会ったときに自分の考えを交えて話してみたくなったのでスクショだけしてツイートを残しておくことにしました。
「見て盗めとか見習いで何年か修行してからようやく任せてもらえる系の職人芸は誰かオープンソースにしてノウハウやコツと言われるものをデータに起こしたら人類の無駄な時間が浮く気がする。」(原文ママ)
数日して、その人のツイートからこの文章が消されていたので、なにか不都合か思うところがあって消したのだろうなと、思いました。なぜ消されたのかはさておき、このツイートを目にして私が考えたことを書き出してみます。
このツイートを見て感じたことは、部分的にはこの人の意見に賛成ではありますが、私の立場は批判的です。
まず、賛成できる点について言いますと、自分がなんらかの職人芸を習得することを初心者の立場からスタートした時に、すでにその道のプロである方からその人が芸を習得するまでに手に入れたノウハウや習得のコツをあらかじめ教えてもらっていたら、私はひとりで悩んで苦しまずともその芸を短期間で習得することができるかもしれません。情報が多ければ多いほど、その道の職人芸を習得できる人が増え、習得の途中で挫折する人も減って、人類にとって良い影響をもたらすのでは…と思えてしまいます。
しかし、このなんらかの芸を習得するというプロセスにおいて、本来は長時間をかけて修行して手に入れられる芸を短絡的に習得しようとするやり方は、その芸を学びたいと考える人の為にはならないでしょう。
人がはじめて何かをできるようになるまでには、まずそれを実際に体験して、すぐにそれを真似できた一部の人を除き、大半の人は挫折という絶望を味わわなければならないでしょう。そして、絶望してからいちど冷静になって、なぜできなかったのかを自分なりに分析して、少しずつ、できるようになりたい何かを何度も体験することで自分のものにすることができるようになります。
自分の実体験をともなっていない知識からは何かを得ることは難しいです。その知識は自分ではなく他人が経験して手に入れたものだからです。自分の体験して得た知識でないものでは、その知識を別の誰かに伝える時に混乱が生じてしまうでしょう。自分でもその知識をよくわかっていないからです。
自分に最も合う方法は自分で見つけるしかない。それには分析するしかありません。
目が覚めると鶏はまだそこにいた。
こんな夢をみた。
実家の部屋でくつろいでいると、ニワトリがとなりにいた。突然の出現にも関わらず、妙におちつきをはらっていた私はしばらくそいつを凝視し続けた。すると、ニワトリの首が人間の女の首にすげ変わったように見えた。幻覚だろうか。見たこともない女の顔だったが、女の顔から視線をそらし再び見返すと、元のニワトリの首に戻っていた。
やはりどこにでもいる普通のニワトリだ。そして例のうるさい鳴き声で急に鳴きだすから、そいつを追い払おうとした。そのとき「タベテ...タベテ...」という女の声を聞いた。自分のほかには誰もいない。いるのは目の前の一羽のニワトリだけだ。気味が悪くなって部屋を飛び出すと、そいつも後を追ってきた。ふりかえると、走って追いかけてくるニワトリの下半身がみるみる女の裸体に変身し、首まで届こうとするところで、変化は止んだ。その姿はまさに鳥人そのものであった。
鳥人はついに私に追いつき、身体に掴みかかりながら、何かの言葉を発しているようだったがその意味をくみ取ることができず、私は地面に押し倒され襲われた。
火曜日の朝、目が覚めてから、夢を見ていたことに安堵するとともに、夢の映像を忘れないように断片的にキーワードをメモに残して仕事に出かけました。
それから4日経ち、再び夢の内容を、覚えている限り文章で再構成したので、考察してみます。あくまで、ニワトリがなぜ夢にでてきたことについてだけ。女のイメージが出てきた箇所は何度考えてもわからなかったので省きます。
夢に見ることは過去に体験したことからやってくるものだと思います。
私たちが体験したことは、五感によって心に刻み込まれます。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚
※味覚はこの考察では触れないことにする。
視覚は対象を目でみるだけ、聴覚は音を耳できくだけ、嗅覚はにおいを鼻でかぐだけなので、私たちと対象との距離が遠いぶん、一度それを体験してからふたたび心の中に現れるまで何度も繰り返さなればならない。
触覚は、ほかの3つの感覚にくらべて、体験した対象をじかに触ることでその存在を感じ取ることができる。子犬を直接抱くと、体温などから子犬がたしかに生きていることが分かるように。生きていると温かい。死んでしまうと冷たくなる。
このことを踏まえて、夢に出てきたニワトリに実在感があったのは、ニワトリの生き死にの様子を正確に覚えていたからだと考えられます。
今年の5月にニワトリを飼っている友人宅で、ニワトリを屠殺するのを素手で手伝い、その後の解体作業まで一部始終をみていました。そのことが強烈な体験として心に記憶され、今になって夢に現れたのだと思います。
その当時、いつも食べている鶏肉がどのような過程をへて私の口まで届くのか、という問いの答えを実際に体験したいという動機から、そのト殺に参加しましたが、やはりあまり気分の良いものではありませんでした。鶏肉は美味しかったけど。
詳しくは書きませんが、自分でほふったニワトリを食べたことで、これまでとはまったくちがう視点で鶏肉と向き合ねばならなくなったのだと、この夢を思い出してあらためて自覚しました。
実体験にまさるものはない。
言葉にしてしまうことの耐えられない重さ
最後にブログを更新してからはや1週間以上が経過した。この間、アウトプットをすることを怠ったわけでもなく(実際には怠った 追記: 9月11日(日))、ただひたすらロシアについて、ロシア語について、自分のしたいことについて考え、思い続けた。
近況についてごく簡単に述べると、
平日の仕事は数字や試験合格といった成果を要求されプライベートやロシアのこと(今後の自分の身の振りについて)を考えている予断もない状況といえる。が、決して悪い状況ではない。むしろこの状況を楽しんでいる。自分の持てる全てで日々の業務をこなし(適度に休みをとりつつ)反省もして自分を磨いている。
ロシア語の勉強は毎日かかさず続けている。実践で使うにはまだまだ屁みたいなレベルだが、基礎を丹念に反復して学習することを心がけている。基礎体力がなければ、この先の学習の継続も危ういからだ。
今日は
「言葉にしてしまうことの責任の重さについて」
先週の休日に野外音楽フェスや神戸のとあるカフェで、事あるごとに出会った友人や知り合い、はじめましての方々に「自分のしたいこと」「興味のあること」の思いの断片を話すことがあった。
話した内容については、以前のエントリーに書いたこと
アウトプットするようになってから、自分の思いを人にわかりやすく伝えようと意識できるようになった半面、自分の大切な思いを初対面の人にでも(尋ねられたとはいえ)話してしまえる自分の浅はかさを恥じたりもした。恥じた理由は自分自身に原因がある。前回の投稿の末尾に書いたが、最初に自分で決めた約束を守れなくて、そんな自分を言い訳で許してしまえる自分自身を恥じたのだ。
(なんてクソまじめに物事を考えるやつなんだと自分でも思う。やりたいならゴチャゴチャと御託を並べずにやればいいじゃないか!)
人に直接、自分の思っていることを話すことで、自分の考えを整理したり自分の思いの丈を再確認する。それはいい。ただ、「する」と決めたことを守れないと、自分の口から吐き出した言葉に真実味が持たせられなくなる。
一度、口にしたことには責任を持って、守れる、「本物」の大人になる。成る。
自戒